2014年8月14日木曜日

NY到着

昨晩の夜にやっとNYへ到着した。本来ならば19時にはBrooklynに住む兄の家に着くはずだったのが、ついたのは25時30分くらいだった。前回の記事で飛行機の日程を間違えた事は書いたが、その後もハプニングというか自分の不甲斐なさが露呈した旅だった。新しい飛行機のチケットをゲットしターミナルで待機していると、天候の影響で飛行機が一時間ほど遅延をした。そのため乗り継ぎの便の時間をずらしてもらうためにカウンターへ向かった。手続きは難なく終わり自分は最初の便に搭乗した。経由地のPhiladelphiaに到着し、次の便の搭乗口で待機していた。搭乗の順番が来てチケットを見せると便が違うと指摘された。なんと変更前の便の搭乗口に並んでいたのである。Philadelphiaからの当初の便も遅延していたため、その変更通知が自分の携帯に届いておりてっきりそちらだと勘違いしていたのだ。急いで搭乗口へ向かったが時既に遅く、飛行機は発ってしまっていた。カウンターの黒人のお姉さんに交渉するも、訛りと喋るスピードが早く何を言っているかさっぱり分からなく困っていた。そうすると自分より少し遅れてきた白人男性が通訳となってくれた。どうやらその男性もこの便を逃したらしく、困っている自分を見かねて声をかけてくれたらしい。しかし次の便は明日の午後まで埋まっているといわれ、空港に泊まるか、電車やレンタカーでNYに向かうしか無いといわれた。さらに自分はバッグを一つ預けていたため、バッグのみNYの空港に行ってしまっている可能性があった。男性の名前はPeterといい、自分をBaggage claimまで案内してくれると言ってくれた。話を聞いてみると、奥さんが日本人で、日本語もそこそこ喋れ、日系の某通信会社で働いており、家はなんと兄と同じBrooklynだった。こんな偶然あるかと疑いつつも、とりあえず荷物を見に行った。案の定荷物は既にNYに向かってしまっていた。そうするとPeterさんは、レンタカーを借りて荷物を空港にとりにいった後に家に送ってくれると言い出した。さすがに良い人すぎるだろと思いながらも、必死にレンタカーを探しまわってくれていたので自分も他の会社等を探し始めた。何社も走って回ったが結局レンタカーは見つからず電車しか帰る方法は残っていなかった。2人で駅までタクシーで向かったのだが、そのタクシー代もPeterさんが払ってくれた。Peterさんは何もせず電車に乗ればその頃には家についていたのに、次の電車は一時間以上あとの2304発しか残っておらず、2人で電車を待ってNYへと向かった。道中もPeterさんは色々話しかけてくれてめちゃくちゃ良い人だった。ちょうどPeterさんの家は自分の兄の家の通り道にあったので一緒にタクシーで帰った。いくら最初のタクシー代を払うといっても受け取ってもらえず、結局自分はPeterさんの家から兄の家までの15ドルほどしか支払わなかった。知らない日本人にここまで親切にしてくれる事に驚きつつも、Peterさんに本当に感謝した。

これはNYにつくまでの話であるが、疲労困憊状態であった自分だがタクシーから夜のManhattanの街を見た瞬間に死ぬほどワクワクした。次の日もNYの街を歩いたが、にやにやがとまらなかった。昨日まであまり良い事が無かったが、荷物も無事空港にありこれからの生活が既に楽しみになってきた。

2014年8月13日水曜日

おっちょこちょい

6月上旬にアメリカに渡ってから2ヶ月あまりが経った。この2ヶ月間で自分について改めて思った事がある、それは自分が思っている以上に抜けているという事だ。いわゆるおっちょこちょいというやつだ。
今日自分はSCのGreenvilleからNYに飛行機で向かうのだが、自分のとったチケットが昨日のフライトだった事に当日ホテルを出る時に気付いたのである。急いで当日瓶便のチケットを予約したので、なんとか本日中にはNYにつける事になった。この記事はその飛行機までの待ち時間で書いている。アメリカに来てから自分が思っているより抜けていて、しっかりしていないという事に気付く機会が多々あった。ジェットコースターに乗って2万もするサングラスを落としたり、スーツケースを無理矢理締めようとして一度も着ていないジャケットに穴をあけたり。これらは最近の事で覚えているが、それ以外にも色々あったと思う。これらは根本的に自分がおっちょこちょいであるということで、もっとしっかりとした人間にならないと行けないと考えさせられた。それとは別に友達とガソリンスタンドに給油しにいったときのことである。友達はコンビニに入り、自分が給油を行う事になった。支払いの方法も給油の方法も分からず、自分はあたふたしていた。このとき初めて自分はちょっとヤバいなと思った。なぜ今までそこまで気付かなかったかというと、自分は常に周りの人間に頼ってきたらだと思った。何か分からない事があれば聞けば良いし、自分がやらなくても誰かがやってくれる。ガソリンを入れられないでぼーと立っている自分を見て凄くやるせない気持ちになった。これは今回の飛行機の話にも繋がっており、自分で確認をしていれば起きなかった問題である。振り返ってみれば自分は分からない事は全て人に聞いて解決していた。2ヶ月間のサマースクールの間も日本人がいたからなんとかやって行けていたのだ。基本的な事ではあるが今後日本人のいない学校でしっかりとした生活を送るには本当の意味で自立しないと行けないという事に気付かされた。このまま社会人になっていたらと考えると鳥肌が立ってくる。
それに付随して先を見越す力も足りないという事に気付いた。選択を迫られた状況でどの選択をしたら今後をより効率よく過ごす事が出来るかを見透かす力である。自分は圧倒的にこの力がかけている、なぜなら今まで選択を避けてきたからだ。選択して失敗する事でこの能力が養われていくにも関わらず、それを経験してこなかった。Greenvilleまで8時間かけて一人で車で戻っている時、カードでの支払いが機械で出来なかったため店内の人にお願いした。その際に事前支払いしか出来ないと言われ、40ドルか45ドルどちらが良いかをたずねられた。40ドルを選択すれば、満タンに近くドルを余らす事は無い、45ドルを選択すれば必ず満タンになるが少しドルを無駄にする可能性がある。自分は40ドルを選択したが、支払いの直前で一応!とおもい45ドルに変更をしたのだ。結果は40.3ドルでガソリンは満タンになった。40ドルを選択して入れば最前の選択であったのに、保険をかけて45ドルに変更した事により5ドルの損失を出したのである。もし40ドルを選択して足りなかったらまた給油しにいけば良いだけの話であったのに。ガソリンスタンドの話ばかりで何を言っているのか分からなくなってきたが、つまりは自分について改めて2つ気付いた事がある。一つ目は、しっかりさが足りなくどこか抜けている。人に頼らず自分で独立した人間にならなければ行けないという事。二つ目は先を見越し選択する能力が欠けているという事。これからの新しい生活でどんどん失敗を重ねて自分を磨いていかないと行けない。失敗は成功のもとという言葉はあながち間違っていなかった(少し意味合いが違うかもしれないが)と思った。ある友達が「人間は傷を負って強くなる」と、つい今朝言っていたが、本当にそうだなと思う。

今この記事を書いているタイミングで学校から、自分の登録が終わっていないとのメールが入った。なんだか立て続けにこういう事が起きるという事は、自分にとってのターニングポイントなのかもしれない。

2014年8月12日火曜日

体育会で思った事

自分は4年間体育会アイスホッケー部に所属していた。4年間の体育会人生の中で色々な事を学び、本当に体育会に入ってよかったと思っている。今回は自分が体育会から学んだ事の中の一つについて触れたいと思う。
体育会 という言葉を私の大学では頻繁に耳にするが、入学当初の自分はただの部活だと思っていた。しかし世間からのはある一定の評価を受けており、就職に有利であるというのもあながち嘘ではない。今まで自分が体育会である事を友達に明かすと、体育会なんだ凄いね!とか、偉いと思う!などと言われる事が多々あった。自分は高校時代から体育会でアイスホッケーを続ける事を決めていたし、体育会でスポーツをやる事に特別な意識を持っていなかったため、これらの言葉があまりピンときていなかった。確かに練習はつらいは、時間は拘束されるは、上下関係は厳しいはで端から見れば特殊なのかもしれない。けど誰しもその環境に行けばそれなりには出来るものだろうし、自分で入部を選択している以上なにも偉い事は無いと思っていた。しかし現に企業は体育会の学生を別ルートで採用したり、減少はしているかもしれないが未だに一定の評価は保たれている。自分なりにこれの理由を4年間ずっと考えてきた。勿論、体力がある、上下関係が出来ている等という能力は一般の人よりは高いかもしれない。しかし、それらの能力はただ駒として有効な能力であり、個人としてのスキルでは無い気がしていた。そんな中自分がたどり着いた答えは、考える力だった。体育会にいると自ら考えて何かを改善しないと行けない状況に多々遭遇する事がある。例えば先輩やスタッフ陣に怒られる時だ。理不尽という言葉があるが、体育会ほどこれが蔓延している団体は無いと思う。そのため時には怒られる内容が理不尽な時もある。怒られた事に対する反応は三種類あり、自分に何か欠陥があった事を認め内省すること、完全に向こうが悪いと割り切りただ我慢するというもの、もう一つは逃げる事だ。体育会の人間はそのスポーツが好きで結果を出したい人が多数を占めている(はずである)。そのためある程度の事ではやめる人間は少なく、他のどの団体よりも逃げずに問題に向き合う機会が多いのだ。もちろん100%自分に非が無い事も時にはあると思うが、大半の場合は1%でも自分に問題があり、それを改善すべきであるという状況が多い。こんなにも怒られる環境は中々無く、それはつまり自分の至らない部分と向き合うチャンスがそれだけ多いという事になる。先程考える力と述べたが、それはつまり自分を考える事を指している。勿論何かしら団体にいれば、それ以外にも考える事が山ほどあり、考える力は向上すると思う。しかし、自分の悪い部分と向き合うというのは中々難しいもので、この自分を考える力というものは体育会だからこそ向き合えるものなのではないかと思った。これはあくまで自分の達した結論であり、違う答えを持っている人は沢山いると思う。体育会生活で重要なのは結果を出す事が一番で、それと共に何か自分なりに成長を得る事だと思う。これらを振り返ると自分の一回目の大学生活は非常に意義のあるものであったと感じる。
体育会については書きたい事がまだ多く残っているので暇な時にでも書きたいと思う。体育会は本当に面白い団体だと思う。

2014年8月11日月曜日

Manhattan Collegeに決めた理由

前の記事で書いたが自分は今秋からManhattan Collegeという大学のBusiness Managementに編入する。
今回は留学を決意してから、この学校を選ぶまでをもう一度振り返ってみたい。
Manhattan CollegeはNYのBronxにある小さな四年制のリベラルアーツカレッジである。多くの人はリベラルアーツカレッジの存在をあまり知らないかもしれない。リベラルアーツカレッジとは「リベラル・アーツ・カレッジLiberal arts college、LAC)は、アメリカ合衆国において人文科学自然科学社会科学及び学際分野に渡る学術の基礎的な教育研究を行う四年制大学(主に学士課程)。全寮制少人数教育を特徴とする。ほとんどの場合、大学院を持たず、教授学部学生の教育に専念する。」wikipediaより引用、こんな感じの大学の事をさすのである。つまりはMajorの科目とそれ以外にも一般教養科目が多く設置されているのだ。少人数制のため教授との距離が近く、また教授も教育熱心な場合が多いと言われている。

まずはじめにどこに留学するかを考えたが、自分はアメリカしか考えていなかった。アメリカは衰退していくだの、アジアがくるだの聞いたとことはあったがまだアメリカだろ!という考えだったのだ。これは大は小を兼ねる的な考えで、英語も出来るようになるしとりあえずまずアメリカに行っておくべきだと考えた。
その後に何で留学しようと考えた時、頭に浮かんだのはMBAだった。将来ビジネスの役に立つし、という曖昧な考えだったが情報収集を始めた。色々な人に話を聞くと、MBAは実学のため職務経験を積んでから行った方が意味が大きいのでは無いかという事を多くの人が言っていた。またMBAは資格のようなもので、優秀な大学のMBAに行く事がかなり重要であるという事も知った。しかし、優秀な大学のMBAは入学の際に必要なGPAが高く、最低でも3.7程必要なのに対して自分は2.98(当時)という数値をたたき出していた。この時点で自分の頭の中でMBAという選択肢は薄れていった。
次に考えたのが、MBA以外の大学院入学だった。ただ自分にはこれといって勉強したいと思う分野が無く、経済、政治等の教科書を読んでみてがやはりどれもピンとこなかった。
この頃から自分はある留学カウンセリング会社に通っていて、そこでリベラルアーツカレッジの存在を初めて知った。色々な科目が勉強できて、なおかつ少人数制で勉強の環境も整っていると聞き、何も知識が無い今の自分がまず留学するには良いのではないかと考え始めた。後から分かった事だが、このカウンセリング会社はクライアントの大半をリベラルアーツカレッジに送り出している。これがどういう意味かは、自分が実際に経験して確かめるしか無い。しかし、この時点でリベラルアーツカレッジへの進学をほぼ決めた自分は、学校のリサーチに取りかかり始めた。リベラルアーツカレッジの大半はアメリカの田舎に位置しており、勉強に適した環境が整っている。しかし自分はどうしても田舎に行きたくなかったので、都心(NYC, Boston)に近い大学を探した。その中の候補の一つがManhattan Collegeだった。Manhattan Collegeは NYCから30分ほどの場所に位置しており、平日は勉強に集中し、週末は街に出かける事も出来るという自分にとっては最高のロケーションだった。都心を選んだ理由はアメリカを選んだ理由と同じで、都心に行っといた方が何かしら良いでしょ!というものだった。単に都会の方が好きというのも勿論あった。という訳でこの学校に出願を行い、合格通知をもらった。
学部は今後のMBA進学を考えたのと、将来必ず必要であるためBusinessにした。先程も述べたがリベラルアーツカレッジは一般教養が多いのでこれ以外の事も多く学べるので安心して学部を選択する事が出来た。当初は2年で卒業する予定であったが、学部を政治学からBusinessに変えたため移行できる単位は少なく、卒業まで2年半程かかるかもしれない事が分かった。これはしょうがないとしか言えないので、地道に頑張るしかない。
いつも以上に文章にまとまりが無いように感じるが、このような過程でManhattan Collegeへの編入を決意したのである。


話は全く変わるが今自分はフロリダを旅行中である。カンザスでのサマースクールを終え、大学の入寮までの期間を旅行に当てたのだ。そんな中昨日一人でユニバーサルスタジオに行って気付いたが、アミューズメントパークは一人で行くものではない。序盤は楽しいが、後半は半端ではない虚無感と疲れに襲われる。家族、彼女、友達と行く事を強く勧める。

2014年8月10日日曜日

誕生日

余談だが最近思った事がある。自分はSNSに何かを投稿する事があまり好きじゃない。理由はキャラ違いだからだ。これは前の記事と関係するが、自分はどっちかというとSNSで発信するキャラじゃないと周りに認識されているから、どこかでそれを守らなければいけないと思っている。もし自分が投稿するもんなら誰かが、「あいつなんか投稿してる、キャラ違いじゃね?」みたいに言ってくる事を恐れているのだ。其れこそこれは他人に自分を決定させられているし、自分としては凄く気持ちが悪い。自分が必要だと思えば投稿すればいいし、そうでないならしなければいい。
ふと誕生日のおめでとうメッセージの事を考えた。自分はこれも恥ずかしくてあまり投稿しない。ほんとは送りたいと思う時もあるがなぜかやめる事が多い。
自分は誕生日のメッセージが多くくれば凄く嬉しい。自分がただ一文投稿するだけで、それと同じ感情を持つ人がいるならば投稿すべきであると思った。
ただそれだけの事だが自分には少し難しいことである。
徐々にこういう所から自分に素直になっていければいいと思う。

という事で仲の良い友達には出来るだけおめでとうを言いたい。

就職活動〜留学決定


自分は今年の秋学期からNY州のBronxにあるManhattan Collegeという、いわゆるリベラルアーツカレッジの小さな学校のBusiness Management MajorにUndergraduateとして編入する。
まずはつい一年半前まで就活をしていた自分がなぜこのような選択をしたのかを振り返ってみようと思う。
小学校から慶應、スポーツ三昧、体育会の自分は当然のごとく3年冬から就職活動を始めた。まずは大手商社、広告や金融に焦点を絞り説明会やOB訪問を行った。色々な話を聞く中で自分は、「ヘーこんな感じなんだ」とか「ここならありかなー、ここはないなー」のような曖昧な感情で自分の進むべき進路を考えていた。本来だったらその様な直感を大切にしてまずは行動し自分に合っている職を見つけるべきなのかもしれない。しかし、この時自分はどうしてもこのまま就職活動を続けて職に就く事に納得する事が出来なかった。その理由は当時の自分に何かを判断するうえでの十分な知識経験が全くもって無かったからである。大学時代はスポーツしかしていなかったし、受験も今まで一度も経験してない、授業をまともに受けたこともないし、本をしっかり読み始めたのも一年前くらいから。自分を振り返ってみたらスポーツ以外で何一つ就職先を判断するのに必要な知識経験を積んでいないことに気づいた。
これと平行して自分の「キャラ」、つまり自分自身についても考える事が多くなった。就活を始めた当初、自分は商社に行きたいと思っていた(実際には商社が自分には合っていると思っていた。)。なぜなら体育会で体力もあるしそれなりにコミュニケーションも出来るし、先輩との付き合い方もそこそこ理解している。また体育会生は商社が合っている。このような安易な判断基準で、あたかも自分が行きたいかのように錯覚していた。実際には自分の判断ではなく、慶應という狭いコミュニティのなかで作られた自分に従っているだけだと言う事に気付いた。上手く文章にする事が出来ないが、つまりは今まで自分が思っていた自分は周りによって作られているだけなのではないかと思った。特に自分は与えられた環境に適応してそれなりにやる、という事が多かった。人より何かを自分で判断し選択するということを圧倒的に避けていた。現に死ぬほど優柔不断である。そのため自分は知識経験を自分で活用する機会が無く、それらの蓄積も怠っていた。このような考えで就活中に自分の判断に自信を持つ事が出来なかったのだ。

そのため自ら何かを判断する事が出来るように、その材料となる「学ぶ」という事を集中して行いたいと考えた。それに加えて自分の事を誰も知らない環境に行く事が、既存の先入観を排除し、自分自身を見つめ直すのに一番であると考えた。
この二つが自分が留学をすることに決めた大きな要因である。

新しい環境で自ら選択しチャレンジしていく事でなにかしら得るものがあると思った。少なくとも今の環境よりは。

今度はなぜこの学校に編入する事にしたかを振り返ってみる。



はじめに

今日から思った事とかをジャンル関係なく書いていこうと思います。
こういうの始めた事ないので続くか分からないですが頑張ります。
始めたきっかけはとーやまに勧められたのと、少し自分の思った事を書き留めておこうと思ったからです。
まずは留学に行く事を決めるまでのプロセスなど、書こうかと考えています。
正直な所なにかを発信する事が凄く怖いです。なぜなら下手な文章を書いてしまえば、バカだと思われるし、こいつ実はかなりバカなんじゃね?とか何か今までの期待を裏切るような事があったら悲しいからです(期待なんて実際は無いのだろうが)。けどこれから自分を見つめていく上で何かを発信してその反応を見る事が、本来の自分や自分の能力を見つめ直すのに凄く大切な事だと考えました。だから自分的には勇気を振り絞って何かを発信していきたいと思います。

舎生ゆえ誤字脱字が多く、稚拙な文章になってしまうと思いますが優しく見守って頂けると幸いです。

田中大二郎