2014年8月12日火曜日

体育会で思った事

自分は4年間体育会アイスホッケー部に所属していた。4年間の体育会人生の中で色々な事を学び、本当に体育会に入ってよかったと思っている。今回は自分が体育会から学んだ事の中の一つについて触れたいと思う。
体育会 という言葉を私の大学では頻繁に耳にするが、入学当初の自分はただの部活だと思っていた。しかし世間からのはある一定の評価を受けており、就職に有利であるというのもあながち嘘ではない。今まで自分が体育会である事を友達に明かすと、体育会なんだ凄いね!とか、偉いと思う!などと言われる事が多々あった。自分は高校時代から体育会でアイスホッケーを続ける事を決めていたし、体育会でスポーツをやる事に特別な意識を持っていなかったため、これらの言葉があまりピンときていなかった。確かに練習はつらいは、時間は拘束されるは、上下関係は厳しいはで端から見れば特殊なのかもしれない。けど誰しもその環境に行けばそれなりには出来るものだろうし、自分で入部を選択している以上なにも偉い事は無いと思っていた。しかし現に企業は体育会の学生を別ルートで採用したり、減少はしているかもしれないが未だに一定の評価は保たれている。自分なりにこれの理由を4年間ずっと考えてきた。勿論、体力がある、上下関係が出来ている等という能力は一般の人よりは高いかもしれない。しかし、それらの能力はただ駒として有効な能力であり、個人としてのスキルでは無い気がしていた。そんな中自分がたどり着いた答えは、考える力だった。体育会にいると自ら考えて何かを改善しないと行けない状況に多々遭遇する事がある。例えば先輩やスタッフ陣に怒られる時だ。理不尽という言葉があるが、体育会ほどこれが蔓延している団体は無いと思う。そのため時には怒られる内容が理不尽な時もある。怒られた事に対する反応は三種類あり、自分に何か欠陥があった事を認め内省すること、完全に向こうが悪いと割り切りただ我慢するというもの、もう一つは逃げる事だ。体育会の人間はそのスポーツが好きで結果を出したい人が多数を占めている(はずである)。そのためある程度の事ではやめる人間は少なく、他のどの団体よりも逃げずに問題に向き合う機会が多いのだ。もちろん100%自分に非が無い事も時にはあると思うが、大半の場合は1%でも自分に問題があり、それを改善すべきであるという状況が多い。こんなにも怒られる環境は中々無く、それはつまり自分の至らない部分と向き合うチャンスがそれだけ多いという事になる。先程考える力と述べたが、それはつまり自分を考える事を指している。勿論何かしら団体にいれば、それ以外にも考える事が山ほどあり、考える力は向上すると思う。しかし、自分の悪い部分と向き合うというのは中々難しいもので、この自分を考える力というものは体育会だからこそ向き合えるものなのではないかと思った。これはあくまで自分の達した結論であり、違う答えを持っている人は沢山いると思う。体育会生活で重要なのは結果を出す事が一番で、それと共に何か自分なりに成長を得る事だと思う。これらを振り返ると自分の一回目の大学生活は非常に意義のあるものであったと感じる。
体育会については書きたい事がまだ多く残っているので暇な時にでも書きたいと思う。体育会は本当に面白い団体だと思う。

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